恋する悲しさ知りぬ 作:高杉伸二郎
同じクラスの友人といつも一緒に食堂で昼食をとった。いつの日からかその友達の友達である女子学生が、いつも横にきて一緒に食事をとり、我々の話を黙って聞いていた。あるとき
「高杉さんちょっとお話があるの」「何なの?」
食事が終わった後、「一緒に来て下さい」と人のいない食堂の裏まで来て、紙切れをとりだし「これを見て下さい」と差し出した。
(「君を見し日より恋する悲しさ知りぬ」いつか打ち明けようか今日まで我慢していました)とある。
私はアルゼンチンタンゴの歌詞の一部にこの言葉はあったのを想い出した。
彼女は黙ってうつむいている。
「ただの友達と思って接していました。今は特別な感情はありませんが」
彼女は急に涙をながし、ハンカチで顔を押さえて走り去った。
単刀直入につぶやき、冷たい返事をしてしまい申し訳ないと思ったので、彼女の下宿場所を友人に聞きその夜訪れた。
「今日は言葉足らずで申し訳ありませんでした。これまで友人以上の想いはもっていませんでしたので、おつきあいをお断りしたわけではありません」
「もういいです。折角来られたので私の日記を読みますので聞いて下さい」
断ろうと思ったが彼女の部屋にお邪魔してしまった。
「5月6日、今日は友人のお友達高杉さんも一緒に食事しましたが、静かにお友達の話を聞いている姿は素敵でした。5月7日、今日も食堂で高杉さんに会いました。誠実なお方だと察しました。5月8日、高杉さんは私の心に植え付けられました。これが恋心というものでしょうか。5月9日、日々私は高杉さんが好きになったのかと思い始めました。・・・・・・・」
このように連日の日記に書かれているのを読み始めました。しばらくしてでもご返事を聞いて私は諦めます。気にしないで下さい。握手だけお願いします」
いわれるまま握手して帰った。
翌日から彼女の姿は見えなかった。
「彼女は(友達としてつきあうのは、気持ちが整理できないので、とても無理だ)と言っていたよ」
とその友人は話してくれた。
十数年後、彼女は未婚で、著名な学者になっているという消息を耳にした。まさかと思うが、あのとき私との関係がその後の彼女の生き方に影響したのかと気になった。
コメント
伸二郎 2010/12/06 11:04
愛の告白に対しては、言葉を選び誠意を持って返事をすることが大切だと思います