私はあの時死んでいた? その3  作:高杉伸二郎


小学校4年生だったある日、同級生や1年上の仲間に誘われ、郊外の貯水池に泳ぎに行った。 かなり大きな池で、真ん中に小さい島がある。水は泥で茶色に濁っているので気持ちが悪かった。 池のそばで服を脱ぎ捨て 、
「あの島までみんなで泳ごう」
「そうしよう。競争だ」
 口々に叫んで飛び込んだ。水はかなり暖かったが、少し中程へ行くと急に冷たくなった。川と違い泳ぎやすいがスッポンでも出てきて食いつかれそうで気味が悪い。仲間は泳ぎなれていているので、私より先を泳いでいる。島まではかなりある。最初は馬鹿にされたくなかったのでついていったが、少し疲れてきた。海でもこんな距離は泳いだことがない。もう限界だ。私はこわくなった。もう意地も恥もない。引き返すことにした。
 
 方向を180度回転して戻り始めた。疲れ切って苦しい。尻が沈んでくる。やっと池の土手について、這い上がろうとしたが、土手は泥でぬるぬるして滑ってあがれない。足元も底なし沼みたいで立てない。あせった。
(おぼれる。学校でやった記録会とちがい、助けてくれる人はいない)
(もうだめだ。お母さん……)と心で叫んだ。

 そのとき、土手の横の方にわずかな草が生えているのが見えた。それに向かって必死に泳ぎ、その草を掴んだ。這い上がろうとした。
(あっ!)
 草は抜け泥に顔をつっこんでしまった。〈死んでしまうよ………〉〈神様助けて!〉。願いを込めてもう一度周りを見たら、左手に下までびっしり草が生えている場所があった。また必死にそこまで泳いでいき草を掴んだ。草はしっかりしていた。助かった。
 土手にあがると仲間は島についていて、こちらへ来いと言っているように見えた。手を振って帰る仕草をした。(友達あh見ていたのでもういなくなっても心配しないだろう)と思った。

「今日、池で溺れそうになったんだよ」
 と母に告げた。
「ああそうなの。気をつけなければだめよ」
 それで終わりだ。もっと心配してくれても、よさそうなものだと思った。
 大勢の子供にいちいち話を聞いている暇はないらしい。子供の事故は珍しくなかった。

「本当に死にそうだんたんだよ」
 と兄に言ったら、
「あの池で前に溺れ死んだ子がいたんだ。泳ぐときはあがる場所を考えて草の多い場所を選ばないとね。でも貯水池は危険だから泳いではいけないと学校で言われていたじゃないか。大体伸二郎はまだ泳げるうちに入らないのに無茶するなよ」
こういう状況では親より兄弟の方が事情を知っているので理解してくれる。
 子供が多い時代には親は子供がどこで遊んでいるかを心配している暇はなかった。
 
 その後私の学生時代に下宿先の隣家では、庭先で洗濯していた母親の後ろの浅い池に幼い自分の子がおぼれ死んでいたことがある。これは1950年の出来事である。


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